5月

端午の節句の意味と由来【鯉のぼり・五月人形を飾る理由や行事食も紹介】

端午の節句の意味や由来。鯉のぼりを飾る理由は?

✓端午の節句の意味や由来は?
✓端午の節句は何をする行事?
✓どうして鯉のぼりを飾るの?

このような疑問を解消します。

 

5月5日はこどもの日の名称で知られる国民の祝日です。また、同日5月5日は端午の節句でもあります。女の子が主役となる行事「桃の節句(ひな祭り)」に対して、男の子が主役となるお祝い行事です。

この時期には鯉のぼりや五月人形をよく見かけるようになりますが、鯉のぼりを飾る意味まで知っている方は少ないかもしれません。そもそも端午の節句とはどのような意味を持つ行事なのでしょうか。

 

このページでは、端午の節句の意味、由来、鯉のぼりを飾る理由など、今更人に聞けない端午の節句の基礎知識をご紹介します。

 

端午の節句とは|意味と由来

毎年5月5日は男の子の日として知られる端午の節句。現代では「こどもの日」という名称で国民の祝日に制定されています。

端午の節句とは、男の子の健やかな成長と健康を願うことを目的としたお祝い行事。

また、菖蒲(しょうぶ・あやめ)と関係があることから、「菖蒲の節句(しょうぶのせっく)」とも呼ばれています。

 

「端」は物事の”はし”の部分であり「始まり」という意味。「端午」とは、もともと各月の最初の”午(うま)の日”を指す言葉でした。これが「午」は「五」に通じることから各月の5日が端午となり、やがて5の並ぶ5月5日が「端午の節句」となったという説が有力です。

 

端午の節句の由来・起源

日本における端午の節句は、飛鳥・奈良時代から行われてきた歴史ある行事です。端午の節句はどのように日本で始まり、そしてどのように広まって国民的行事にまでなったのかを解説します。

 

はじまりは古代中国の風習

由来は諸説あるのですが、元々は古代中国で行われて「五節句」という風習が起源でるという説が有力。その五節句の風習が後に日本に伝わって来たと考えられています。

五節句とは

季節の変わり目に生まれやすい邪気や厄を払い、無病息災を願う五つの神事。

中国では5月は天災や戦などの凶事が多かったことから、「物忌み月」「悪月」と呼ばれ忌み嫌われていました。なかでも5が重なる5月5日は悪月の悪日である「重五」と呼ばれており、この日に産まれた子供は棄てられてしまう風習まであったそうです。

そのため、5月5日に邪気を祓って無病息災を願う行事が執り行なわれるようになりました。それが「端午の節句」と呼ばれるようになったのです。

 

日本ではもともと女の子の節句だった

今でこそ端午の節句は男の子の日としてお祝いされていますが、実はかつての日本では女の子が主役の行事でした。

POINT

旧暦の5月(現代の6月頃)は日本だと田植えをはじめる非常に重要なシーズン。

昔は”田の神”を迎えるために「五月忌み」と呼ばれる行事が行われていました。田植え前の端午の日に「早乙女(※田植えをする若い女性)」が仮小屋もしくは神社に籠り、飲食を慎んで穢れを祓い、心身を清らかに保つという風習。

そんな農耕神に祈る日本古来の信仰に、中国でも5月5日に行われていた邪気払いが複合して、日本でも端午の節句がはじまったと言われています。

このように、日本ではもともと田の神を迎える女性の行事だったのです。

 

現在の端午の節句に菖蒲やヨモギが使われるのは、中国の邪気払いの儀式で菖蒲酒を飲んだり、ヨモギを編んだ人形などを飾っていたことの名残り。

  • 菖蒲や葵などの薬草を軒先に吊るす
  • 菖蒲を酒や沐浴の湯に入れる
  • 菖蒲で屋根を葺く

など、現代の風習にも通じる習慣が生まれました。

 

武家社会によって女の子のお祭りは男の子のお祭りに変わった

武家が支配層となった鎌倉時代以降、これまで公家が行っていた宮中行事が武家社会にも浸透しました。すると、端午の節句に欠かせない「菖蒲」が「尚武(※武事を重んじること)」や「勝負」という言葉に通じることから

  • 男の子の健やかな成長
  • 立身出世を願う

こういった目的の行事に変化していったのです。

 

室町時代から戦国時代にかけて、男子が生まれた武家階級の家では幟(のぼり)を外に立てたり、家の中に鎧や兜など具足が飾られるようになります。

また、江戸時代になって庶民の間にも広まると、以下のような新たな風習が生れました。

  • 滝を登りやがて龍ともなる鯉に立身出世を願って「鯉のぼり」を立てる
  • 強くたくましく成長することを願って「武者人形」を飾る

 

端午の節句の日は何をするの?お祝いの仕方は?

端午の節句では何をする?お祝い方の解説

続いて、端午の節句では具体的に何をするのかについてご紹介します。

 

五月飾り・五月人形

端午の節句と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「鯉のぼり」ではないでしょうか。この時期になるとあちこちで空を泳ぐ鯉のぼりの姿を見掛けるようになります。ただ、端午の節句に欠かせない飾りは鯉のぼりだけではありません。

五月飾り・五月人形

  • 鯉のぼり
  • 武者人形(鎧・兜)
  • つるし飾り

これら端午の節句に使われる飾りを総称して「五月飾り」もしくは「五月人形」と呼びます。

 

五月飾りを大きく分けると、「家の外に飾る外飾り」と「家の中に飾る内飾り」の2種類。内飾りの五月人形は、鎧飾り・若大将・桃太郎・金太郎などタイプはさまざま。

また、つるし飾りはひな祭り(桃の節句)の飾りとして知られていますが、最近は端午の節句用のつるし飾りも増えてきました。

 

五月人形の詳細についてはこちらの記事をご覧ください▼

五月人形の意味と種類【兜・鎧・金太郎を端午の節句に飾る理由】

 

端午の節句の食べ物(行事食)

当日は端午の節句ならではの行事食を食べるのも一般的な祝い方。なので、端午の節句の代表的な料理・食材をご紹介します。

端午の節句の行事食

  • 柏餅
  • 粽(ちまき)
  • 縁起物の魚(ブリ・かつお・鯛)
  • たけのこ
  • ちらし寿司

昔から伝統的に食べられてきた行事食は柏餅とちまきの2つ。地域による違いもあり、関東地方では「柏餅」、関西地方では「ちまき」を食べることが多いようです。

その他、縁起が良いとされている食材を使った料理、お祝いごとでよく食べられている料理も人気。

 

端午の節句の食べ物の詳細はこちらの記事をご覧ください▼

端午の節句ならではの食べ物は?【意味と縁起の良い料理メニューを紹介】

 

端午の節句に鯉のぼりを飾る理由は?

鯉のぼりの由来と飾る理由

端午の節句といえばやはり鯉のぼり。紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描いたもので、風を受けるとまるで空を泳いでるようにたなびく幟(のぼり)です。

鯉のぼりは「皐幟(さつきのぼり)」「鯉の吹き流し」とも呼ばれることがあります。

 

どうして”鯉”なの?

まず気になるのは、どうしてデザインが鯉なのか。鯉のぼり自体は日本で生まれた日本独自の風習なのですが、鯉である理由は中国の故事が深く関係していると考えられています。

中国の正史、後漢書に記された故事の中で、以下のような伝説があります。

黄河の上流に流れが非常に激しい竜門の滝があり、

多くの魚が登ろうと試みるも、

唯一鯉だけがその滝を登り切り、

鯉は竜となって天をかけた。

立身出世の関門「登竜門(とうりゅうもん)」とはこの故事から生まれた言葉です。また、鯉というのは清流でも池でも沼でも生きられるタフな生命力を持つ魚でもあります。

つまり、のぼりに鯉の絵を描いて掲げた理由は、「鯉が立身出世の象徴」「子供の健やかな成長を祝うのに相応しい生命力の強い魚」であったからだと考えられています。

 

鯉のぼりが生まれたのは武士に対する商人の対抗心から

武士社会となった鎌倉時代以降、端午の節句をお祝いするようになった武士の家では、玄関に「旗指物(はたさしもの)」が飾られるようになりました。

旗指物とは上の画像のようなもので、戦で鎧に刺して目印にした幟(のぼり)のこと。この旗指物が鯉のぼりの起源です。

 

その後、江戸時代になると経済力を高めた商人の家庭で、身分の高かった武士に対抗して旗指物の代わりに「五色の吹流し」を飾るようになりました。

商人は経済力はあっても相変わらず身分は低いままだったことから、武士と同じことはできなかったのです。そこで、我が家にも男子がいることを主張するため、より目立つ五色の吹き流しを飾るようになったと言われています。

その後、先程紹介した中国の故事に目を付けた江戸の商人たちが、故事に記された登竜門の内容にちなんで、吹き流しに鯉の絵柄を描いた「鯉のぼり」を生み出しました。これが町人の家庭で人気となり、端午の節句の時期になると鯉のぼりがあげられるようになったのです。

 

鯉のぼりが生まれた当時は「黒」だけだった

鯉のぼりの最もポピュラーな並び順は、一番上に「黒」の真鯉、二番目に「赤」の緋鯉、最後に「青(緑)」の子供の魚。

POINT

  • 黒い鯉は大黒柱の父親
  • 赤い鯉が母親
  • 青や緑の鯉が子供

実は江戸時代の鯉のぼりは、黒い真鯉(まごい)のみだったそうです。鯉のぼりが浸透していたのも江戸を中心とした関東地方くらいで、関西地方ではほとんど見られませんでした。鯉のぼりが全国に広まったのは明治時代に入ってから。

さらに、色鮮やかな鯉のぼりが誕生したのは明治以降のこと。この頃から鯉のぼりに赤い鯉が誕生し、真鯉と緋鯉(ひごい)が対で揚げられるようになります。さらに、昭和時代になると小さな子鯉が加わり、家族を表現した飾りに変化していきました。

他にも「黄」「紫」「ピンク」などの鯉のぼりもあり、子供が増えるごとに足していくご家庭も多いようです。

ちなみに、一番上についている五色の吹き流しとカラカラ回る矢車には、「魔除け」の意味が込められています。

 

男の子の健やかな健康を願って端午の節句をお祝いしよう

5月5日の端午の節句は男の子の成長をお祝いする行事ですが、もともとは女の子のお祭りだったのです。それが公家から武家社会に変化したことがきっかけとなり、男の子のお祭りに変化したという経緯があります。

また、立身出世を願う意味を持つ鯉のぼりが誕生したのは、江戸時代の商人の武家への対抗心からというのも面白いですね。

端午の節句をお祝いする際に、このような由来をお子さんに聞かせてあげるのもタメになって良いかもしれませんね。

 

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