
✓どんな由来があって生まれたの?
✓紅茶の日のイベントは?
こんな疑問を解消します。
肌寒くなってくる季節、温かい紅茶を飲みたくなりますよね。紅茶は種類が豊富で茶葉ごとに個性があり、それぞれ違った味と香りを楽しめます。
そんな奥深い紅茶、実は『毎年11月1日は紅茶の日』という記念日なのです。
語呂合わせというわけではなさそうですが、どうして11月1日なのでしょうか?その由来には非常に壮絶な歴史的背景がありました。
今回は、紅茶の日が生まれた由来、11月1の理由、関連イベントについて紹介します。
紅茶の日とは|制定された由来
POINT
毎年11月1日は紅茶の日です。
日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に制定した記念日で、比較的新しく生まれた記念日となります。
この日に制定された理由を簡単にご説明しますと、”11月1日は日本人が初めて紅茶を飲んだ日”。その記念として制定されたのです。
しかし、それは1791年の出来事。しかも飲んだ人物は一般人。その頃の日本は絶賛鎖国中でしたので、外国の飲み物である紅茶を飲めるのはおかしいですよね。
それでは、いったい日本人の”誰”が”、どのような経緯”で紅茶を飲んだのでしょうか?
日本で始めて紅茶を飲んだのは船乗りだった?
時代は、鎖国政策只中の江戸時代、1782年(天明2年)12月9日。時の将軍、第11代・徳川家斉の時代。
伊勢の国(現在の三重県)の船頭「大黒屋光太夫」は、積み荷を載せた廻船・神昌丸で江戸へ向かっていたところ、嵐に見舞われて遭難。そのまま漂流し、当時ロシア領だったアレウト列島(現:アリューシャン列島)のアムチトカ島になんとか上陸しました。
※アムチトカ島の位置は北方領土よりさらに東
アムチトカで約4年過ごした大黒屋光太夫は、カムチャッカ半島に渡って帰国嘆願するも、鎖国状態の日本はそれを拒否。それでも帰国を諦めなかった光太夫らは、女帝エカテリーナ2世に直接嘆願するため、シベリアを横断して首都サンクトペテルブルクまで移動しました。
それはアムチトカに漂着してから8年もの歳月が過ぎた1791年(寛永3年)2月のこと。
ついにエカテリーナ2世に謁見がかない、その境遇に同情した皇帝によってようやく日本への帰国を許され、遭難してから実に9年半後の1792年(寛永4年)に帰国できたのです。
実は、皇帝への謁見から帰国までの間に、光太夫は皇太子や貴族などロシアの上流階級の方々から歓迎され、さまざまな欧州文化を体験しました。1791年11月1日にはエカテリーナ2世のお茶会にまで招かれ、そこで光太夫は日本人としては初となる紅茶をいただいたのです。
このときの出来事を記念して、11月1日を紅茶の日として制定しました。
紅茶の日の関連イベントは?
日本紅茶協会では、毎年11月1日の紅茶の日に明治記念館で「紅茶の日記念ティーセミナー」を開催。
セミナーでは、トークショーやミニコンサートなどを楽しみつつ、美味しい紅茶の淹れ方や楽しみ方を学べる内容となっています。日本紅茶協会会員各社からの紅茶のお土産がつくそうですよ。
参加するには事前申し込みのうえ抽選となりますので、紅茶好きの方は応募してみてはいかがでしょうか。
日本紅茶協会主催イベントの他にも、紅茶関連の企業・団体がイベントや紅茶の講座を開催しています。また、紅茶を提供している専門店や喫茶店、BARなどでキャンペーンを実施したり、限定商品を出してるところも多いので、興味のある方は是非チェックしてください。
11月1日は紅茶の日らしく素敵なティータイムを♪
11月1日は紅茶の日。ちょうど紅茶が恋しくなり始める秋にはピッタリの記念日と言えます。
制定された理由は、当初は季節にマッチした飲み物だからとか、何かしらの語呂合わせ的なものなのかと考えていたのですが、実際は日本人が初めて紅茶を飲んだ日ということでした。
そこに至るまでの経緯は、思っていた以上に壮絶な歴史的背景があったことにも驚き。日本で紅茶を初めて飲んだのが、帝や貴族、武家など上流階級の者ではなく、一般人だったというのも意外ですよね。
11月は紅茶の日があることから紅茶関連のイベントが多く開催されているので、紅茶好きの方はもちろん、少しでも興味のある方は参加されてみてはどうでしょうか?キャンペーンを利用すればお得に紅茶を楽しむこともできますよ。