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花火はなぜ夏の風物詩として愛されるのか【娯楽?納涼?供養?…夏に行う理由】

花火が夏の風物詩とされる理由と花火のルーツ

✓どうして花火は夏にやるの?
✓花火大会が夏に集中してる理由は?

こんな疑問を解消します。

 

花火は日本の夏の風物詩です。毎年だいたい6月~9月頃になると、全国各地で花火大会が開催されます。また、家族や友人と手持ち花火を楽しむ方も多いことでしょう。

ところで、なぜ花火といえば夏なのでしょうか?秋や冬でも出来ないわけではありません。しかし、やはり花火は夏の風物詩というイメージが強いですよね。

 

この記事では、花火が夏の風物詩である理由やルーツについてご紹介します。

花火が夏の風物詩となった理由

花火が夏のイメージが強い理由

日本の花火大会は夏に集中していますよね。花火が夏の風物詩となった理由はいくつかあり、さらに様々の行事・イベントと連動しています。

 

死者の魂を供養する慰霊のために打ち上げていた

花火大会は6月~9月頃に密集していますが、特に開催されるケースが多い時期はお盆前後。実はこれには理由があります。

もともと花火というのはお盆に行われる「迎え火」「送り火」「精霊流し」と同じように、死者の魂を供養する慰霊、鎮魂の意味合いが強いからです。

 

1732年(江戸時代中期)、冷夏と害虫によって日本は全国的な大飢饉(享保の大飢饉)となりました。さらに、江戸では疫病「コレラ」が流行したことにより多数の死者が出ることに。

時の将軍・徳川吉宗は「死者の慰霊」と「悪疫退散祈願」のため、両国で水神祭を執り行ない、それに合わせて打ち上げ花火を上げたのです。

MEMO

これが現在の隅田川花火大会の前身「両国川開きの花火」

 

花火と「川開き」&「納涼」の慣習が連動して全国へ拡大

昔から川というのは夏の暑さをしのぐ「納涼」の場として活用されてきました。そして、水神祭での花火打ち上げ以降、隅田川の川開きでは毎年初日に花火を打ち上げるのが恒例となっていきます。

川開きとは

川の納涼始まりを祝うために行われる年中行事。

この川開きでの打ち上げ花火の慣習が全国に広まり、同時に先祖供養のお盆とも関連を持つようになります。

さらに花火は夏祭りとも連動するようになり、いつしか花火といえば夏というイメージが定着。花火は夏の風物詩として多くの人達に親しまれるようになったのです。

 

花火は冬の方が綺麗!冬の花火大会が少ないのはなぜ?

夏の花火と冬の花火のどちらが綺麗かというと、実は冬の花火の方が綺麗だとよく言われます。

  • 夏より冬の方が空気が澄んでいる
  • 冷たい空気の方が光は屈折しにくく、遠くまで鮮明に景色が見えるようになる

このような理由から冬の方が花火は綺麗に見えるのですが、それではなぜ冬の花火大会は少ないのでしょうか?

 

理由は単純に「寒いから」。寒空の下では我慢にも限界があり、何時間もじっとしているのは辛いもの。冬に花火大会を開いても人が集まらないという懸念は拭えません。

また、火事の危険性が高まるのも理由のひとつ。冬は空気が乾燥している季節。空気に湿り気が無いというのは物が燃えやすい状況。さらに乾燥した枯れ葉や枝も多く落ちているため、これらに引火すると大規模な火災になる恐れがあります。

 

ただ、冬の花火大会が無いわけではありません。イベントの一環として花火を打ち上げることもあるので、夏とは一味違う冬ならではの美しい花火を楽しむこともできます。

 

花火誕生のルーツと日本での発展

花火のルーツ

いまでこそ花火は日本が世界に誇る伝統文化です。しかし、実は花火は日本が発祥ではありません。起源は諸説あるのですが、ヨーロッパもしくは中国にルーツがあると言われています。

 

中国からヨーロッパへ。そして日本に・・・

花火のルーツは、中国で火薬の原料となる”硝石”が発見されたことから始まります。その硝石を利用した「狼煙(のろし)」が大元だとする説が一般的。

  1. 火薬からのろしが生まれ
  2. やがて武器に転用され
  3. 後に花火の原型となる爆竹に近いものが12世紀中頃に誕生

 

12世紀後半、硝石・火薬はシルクロードを経てヨーロッパへ伝わります。

やはりそこでも火薬は戦いに利用されましたが、14世紀後半のイタリア・フィレンツェで、キリスト教のお祭りに鑑賞用第一号とされる花火が使用されたのです。

花火はヨーロッパ中に広がると、大航海時代に火薬と共に世界へ広がっていきました。

 

日本の花火の始まり

日本での花火の起源は、ポルトガル人が種子島に伝えた鉄砲(火縄銃)。1543年(室町時代)に鉄砲と一緒に火薬の製造技術が伝わりました。

 

日本で娯楽用の花火を初めて見たのは徳川家康説が最も有力です。

1613年、駿府城の徳川家康を訪問したイギリス人から手筒花火のようなものを献上され、それを家康公が見物したという記録が残っています。

家康が花火を痛く気に入ると諸大名の間にも広がり、さらに江戸の庶民の間でも流行しました。当時の花火は現在のような華やかさは無く、竹筒から火花が噴き出すという単純なものだったようです。

 

家康説以外だと、1589年に伊達政宗が米沢城で唐人(中国人)から献上された花火を見たという説もあります。しかし、この説はまだ確証がありません。

 

「玉屋」と「鍵屋」…江戸の花火師によって進化した花火

江戸時代に戦が無くなり、花火が流行したことに伴い、娯楽・鑑賞としての花火を専門に生業とする花火師が登場しました。

その中でも特に有名な花火業者が「玉屋」と「鍵屋」

花火大会の打ち上げ時に「たまや~」「かぎや~」という掛け声を聞いたことありませんか?実はこれ当時の二大花火師である玉屋と鍵屋のことだったんです。

 

鍵屋は江戸幕府御用達の花火業者。円状に広がる球型の花火を作ったのが鍵屋です(欧州諸国の花火は円筒形)。

八代目鍵屋のとき、番頭の清七が暖簾分けを許されて立ち上げた花火屋が玉屋。

 

その後、両国の川開きで鍵屋と玉屋が競演するなどして人気をはくしたのですが、玉屋は失火によって江戸を追い払われ、暖簾分けから30年間で廃業。

一方、鍵屋は戦前まで続きました。

 

花火を楽しむことも供養になる

今では夏の風物詩として誰からも親しまれている花火ですが、もともとは娯楽のイベントではなく、死者の魂を弔う慰霊・鎮魂ために打ち上げていたものだったのです。

それが納涼や夏祭りと連動して盛り上がったことにより、花火といえば夏というイメージが定着したと考えられています。先祖供養のお盆とも結びついたことで、夏場でも特に8月に開催する花火大会が多くなったのでしょう。

 

ただ、夏以外でも花火大会は各地で催されています。

夏とはまた一味違う趣きがあり、寒い時期の花火は気候の影響によって夏よりも綺麗に見えやすいので、足を運んでみるのもいいかもしれません。

 

供養と言われると身構えてしまいますが、生きてる人が楽しんでいる姿を見せることも故人の供養になります。夏祭りを楽しみながら、家でスイカやかき氷を食べながら、思い思いの場所で花火を楽しんでください。

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